What is democracy for you?

ESLが1クール終わって、いよいよインターンシップと、アメリカの高等教育制度とかEducation Abroadの戦略とかを聞くColloquiumが始まります。…はいいのですが、並行して大学の授業も聴講できるということで聴講しているLeadershipの授業が超intensiveで、課題やらそこから得たものを書くblogやらに四苦八苦しています。degree取るのに比べたらまだ楽だと思うのでがんばろうとは思いますが、それで本業の方のcolloquiumがおろそかになってしまっては元も子もないわけで…まして、私の関心事である高等教育制度全体の話やUniversity Governance、Planning and Analysisが最初の3週に集中しているので、しばらくは一生懸命がんばるしかなさそうです。


さて、Leadershipとも関連するのですが、MEPI(The Middle East Partnership Program)というアメリカ国務省がやっているプログラムがあるようで(Fulbrightみたいなもんでしょうか)、その一環で中東・北アフリカ地区の学生をアメリカに呼んできて、リーダーシップ教育を行うというプログラムがあります。おそらくこちら。http://mepi.state.gov/opportunities/mepi-exchange-programs/student-leaders.html
MSUがそのホスト校の一つになっているようで、ちょうどMEPIの学生たちがいろいろと学んでいる最中のようです。Leadershipのコースの一環というか、課外授業みたいな感じで、火曜日にはDialogueに参加してfreedom of speechについて語るなんてこともしました。

今日はMEPIの学生が自国についてプレゼンするという会があって、インターンシップのかわりにそっちに行ってもいいということなので、火曜日にいろいろ話を聞いて、Middle Eastの国でもいろいろ違いがあるんだな、というのを再認識しておもしろく思っていたこともあり、せっかくなのでありがたく参加してきました。
プレゼンのあとに発表者とパネルディスカッションみたいに質疑応答があったのですが、政体論というか民主主義論で盛り上がること盛り上がること。

(以下、事実関係の裏取りしないで書いているので、事実関係の点で間違っていたらごめんなさい。ひとえに筆者のリスニング力の責任です)
UAEでは(民選ではない)”President"がいるそうで、さらに言論の自由も制限されているようです。
(聴衆)「この状況を打開したいと思わないのか?」
UAEからの学生)「無料の医療制度もあるし、高等教育制度もとても整備されてきた。自分はいまの状況にとても満足しているので、あえて言論の自由を求めようとは思わないし、なぜPresidentを批判しなくてはいけないのか理解できない」
(聴衆)「Presidentになりたいと思わないのか」
UAE)「Presidentの役割は民衆を守ること。政府は民衆の意見を斟酌(consider)して我々に利益を与えてくれる(beneficial)」
(以下、民主主義を啓蒙したい勢力と言論の自由を導入する必要性が理解できない壇上学生との堂々巡り)

UAE)「逆に、あなた方にとってdemocracyとは何ですか? 民衆が大統領や議員を選ぶとしても、最終的な意思決定はPresidentがするのではないですか?」
(聴衆・口を揃えて)「いや、民衆がするんだ」


アメリカ人の反応もきわめてアメリカ的で、やれやれ、といった感じなのですが、上で「聴衆」と書いた中には、自国を「立憲君主制でない王国」と彼自身が形容していたヨルダンからの学生がいるなど、Middle Eastの学生の中でも立場を異にしている人が多かったことが非常におもしろかったです。
1st Amendmentの国であり、(世界で初めて…だったと記憶していますが)憲法に抵抗権を盛り込んでいるという背景があるにせよ、アメリカ人はやはり、党派を問わず民主主義を啓蒙することが使命だと思っているのでしょうね。その意味ではManifest Destinyの頃から本質的に変化していないということなのでしょうか。
最後に聴衆が口々に「最終意思決定は民衆の手にある」と異口同音に、迷わず主張していたのは一応民主主義国家に国籍を置いているはずの私が見ても興味深い光景ではありました。アメリカ国務省狙いどおりの展開って感じでしょうか。

民主主義といいつつ党派対立やら何やらでぐだぐだになるよりは、少なくともNoblesse obligeが担保されていて、民衆が幸せな限りにおいて、スルタン統治が排除される余地はないと思うのですけれど。もしかして民主主義国家より幸せなのではないでしょうか。民衆自身の抵抗権を否定するつもりは毛頭ありませんが、「上からの排除」が正当化されるとしたら、アメリカン・インディアンを排除した歴史と同じ轍をたどるだけではないかと思います。
このへんで、一応立憲君主制に分類されつつも、象徴と実権が分離するという形態を歴史的に取ってきている、不思議な統治形態を取っていて(この点については以前のエントリもご参照ください。『天皇はなぜ万世一系なのか』 - 気が向いたら書く。)、なおかつ非欧米であるところの日本が果たせる役割もあろうかと思うのですが、具体的に何ができるのかなぁというところに来るとなかなか答えは見つからないままです。

大学とか文化芸術がその鍵になるんじゃないかと信じて、こういうお仕事を生業にしているのですけどね。
って、こういう議論を聞いたりすると、ときどきsubconsciousの領域に眠っているpassionが頭をもたげてきたりするのです。これだからいろんな人の話を聞くっておもしろい。