夫婦別姓判決を読んでみる。

平成26年(オ)第1023号 損害賠償請求事件 平成27年12月16日 大法廷判決
夫婦別姓についての最高裁判決、報道はろくにチェックしてないけど、判旨は(結論の響きに比べると)夫婦別姓に好意的のように思われる。
それにしても、女性裁判官3名全員がそろって意見(理由付けは異なるが結論は同一。今回の場合、国家賠償法による損害賠償請求が主論点なので賠償義務はないという結論は同じであるものの、夫婦別姓については違憲とするもの)を述べているのがなんとも、というところ…。。(ところで、意見の場合は補足意見と違って一つの意見とすることができないんでしょうかね)。

なお多数意見は
・婚姻前の姓を保持する権利は憲法13条(幸福追求権)により保障される人格権ではないが、「氏を含めた婚姻及び家族に関する法制度の在り方を検討するに当たって考慮すべき人格的利益」ではあり、「憲法24条の認める立法裁量の範囲を超えるものであるか否かの検討に当たって考慮すべき事項である」
・「氏の選択に関し,これまでは夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占めている状況にあることに鑑みると,この現状が,夫婦となろうとする者双方の真に自由な選択の結果によるものかについて留意が求められるところであり,仮に,社会に存する差別的な意識や慣習による影響があるのであれば,その影響を排除して夫婦間に実質的な平等が保たれるように図ることは,憲法14条1項の趣旨に沿うもの」であり、上記同様、法制度の検討にあたって「憲法24条の認める立法裁量の範囲を超えるものであるか否かの検討に当たっても留意すべきもの」
としつつ、結論として家族が同一の氏を称することの合理性を述べて意見ではないとしているところ。

この判決で政府が積極的な行動をとることはないであろう点に鑑みれば、積極的に評価しすぎる気にはならないけれど、下記の通り夫婦同氏制のデメリットについて多数意見で比較的率直に触れているのは評価できる点と思う。

夫婦同氏制の下においては,婚姻に伴い,夫婦となろうとする者の一方は必ず氏を改めることになるところ,婚姻によって氏を改める者にとって,そのことによりいわゆるアイデンティティの喪失感を抱いたり,婚姻前の氏を使用する中で形成してきた個人の社会的な信用,評価,名誉感情等を維持することが困難になったりするなどの不利益を受ける場合があることは否定できない。そして,氏の選択に関し,夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占めている現状からすれば,妻となる女性が上記の不利益を受ける場合が多い状況が生じているものと推認できる。さらには,夫婦となろうとする者のいずれかがこれらの不利益を受けることを避けるために,あえて婚姻をしないという選択をする者が存在することもうかがわれる。

また、寺田補足意見の言う憲法適合性審査における裁判所の謙抑的な役割についても議論として首肯はできるところ。

本件で上告人らが主張するのは,氏を同じくする夫婦に加えて氏を異にする夫婦を法律上の存在として認めないのは不合理であるということであり,いわば法律関係のメニューに望ましい選択肢が用意されていないことの不当性を指摘し,現行制度の不備を強調するものであるが,このような主張について憲法適合性審査の中で裁判所が積極的な評価を与えることには,本質的な難しさがある。

諸条件につきよほど客観的に明らかといえる状況にある場合にはともかく,そうはいえない状況下においては,選択肢が設けられていないことの不合理を裁判の枠内で見いだすことは困難であり,むしろ,これを国民的議論,すなわち民主主義的なプロセスに委ねることによって合理的な仕組みの在り方を幅広く検討して決めるようにすることこそ,事の性格にふさわしい解決であるように思える。選択肢のありようが特定の少数者の習俗に係るというような,民主主義的プロセスによる公正な検討への期待を妨げるというべき事情も,ここでは見いだすに至らない。

なお、この点につきアメリカ連邦最高裁同性婚合憲判決(Obergefell v. Hodges)における反対意見(http://www.supremecourt.gov/opinions/14pdf/14-556_3204.pdf PDF40ページ目以降)を想起したのでこれについてもメモしておく。

But this Court is not a legislature. Whether same-sex marriage is a good idea should be of no concern to us. Under the Constitution, judges have power to say what the law is, not what it should be. The people who ratified the Constitution authorized courts to exercise “neither force nor will but merely judgment.” The Federalist No. 78, p. 465 (C. Rossiter ed. 1961) (A. Hamilton) (capitalization altered).

Today, however, the Court takes the extraordinary step of ordering every State to license and recognize same-sex marriage. Many people will rejoice at this decision, and I begrudge none their celebration. But for those who believe in a government of laws, not of men, the majority’s approach is deeply disheartening. Supporters of same-sex marriage have achieved considerable success persuading their fellow citizens—through the democratic process—to adopt their view. That ends today. Five lawyers have closed the debate and enacted their own vision of marriage as a matter of constitutional law. Stealing this issue from the people will for many cast a cloud over same-sex marriage, making a dramatic social change that much more difficult to accept.

Understand well what this dissent is about: It is not about whether, in my judgment, the institution of marriage should be changed to include same-sex couples. It is instead about whether, in our democratic republic, that decision should rest with the people acting through their elected representatives, or with five lawyers who happen to hold commissions authorizing them to resolve legal disputes according to law. The Constitution leaves no doubt about the answer.