『街場の大学論』とウチダ中毒について

beer(的な飲料)を飲んでこたつでネットサーフィンしていたらうつらうつらしてしまって、0時前に起きたら目がさえてしまったので、積ん読リスト上位にあった内田樹(@levinassien)先生の『街場の大学論』に手をつけてみました。

街場の大学論  ウチダ式教育再生 (角川文庫)

街場の大学論 ウチダ式教育再生 (角川文庫)

いつもながらに痛快だったけれど、業界話だったからなのかなんなのか、いつも以上に触発されたので久々にエントリ書いてみます。
(昔のblogを再開しようかと思ったけど、もしかして都合悪いこと書いてあると困るので新しくつくりましたw)

『私家版・ユダヤ文化論』以来、ウチダ先生の著作は何となく気にしていて、『日本辺境論』で確信に達したのですが、ウチダ先生の文章はまさに痛快です。
「かゆいところに手が届く」というか、読んでいて気持ちいいんですね、いろんな意味で。
「なるほど、そうだったのか」「そういわれるとすごくしっくり、安心する」の連続がウチダ本の魅力でありました。
今回の『街場の大学論』は上記に加えさらに、「やっぱりそうだよね」「そうそう!」の連続で、ニヤニヤしたり、吹き出してしまったりして、まさに大満足。
おまけに「なぜそうなのか」という知見まで得られました。

ウチダ先生曰く、

大学での私の役目は、私の前に立っている人が「何を言ってほしいのか」を聞き取って、それを本人になり代わって言ってあげるというものである。

「大学」では、との限定付きになっていますが、ウチダ先生がなさっているのは読者全体を相手にした「なり代わり」なのではないでしょうか。
であればこそ、「なるほど」「そうそう」という同意を次から次に引き出すテクニックにも得心がいくというものです。


興味深いのは、私学の先生方もダウンサイジングは真剣に考えていて、でも経営陣に反対されるケースが多いんだな、ということ。
考え方はいろいろあるでしょうけれど、正直に言って、中教審の「現在の大学進学率等の水準が過剰であるという立場をとらない」よりはよほどしっくりきます。
中教審はおそらく、トロウの言う、大学がユニバーサル化した時代における新しい位置づけという趣旨を言っているのでしょうが、

こうした現状について,現在の大学進学率等の水準を過剰とする見方もある。
しかし,大学の大衆化がいち早く進展したアメリカを含め,先進諸国は,高等教育へのアクセスを改善し,一層幅広く若者を受け入れていく方向を目指している。他方,我が国の大学進学率は,他の先進諸国に比して特に高いとは言えず,OECD諸国の中では下位に属するという分析もある(図表1-4)。
グローバルな競争が展開される知識基盤社会の時代を迎え,諸外国と伍していく観点から,若年人口が減少する中で学士レベルの資質・能力を備えた人材の養成を維持・強化していくことは重要である(図表1-5)。また,保護者や高校生自身の大学進学に向けた熱意・意欲に応えることも大切である(図表1-6,1-7)。様々な格差の拡大を懸念する声もある中,大学が幅広く多様な学生を受け入れ,学士課程教育を通じて,自立した市民や職業人として必要な能力を育成していくことが求められる。
こうしたことから,本審議会は,現在の大学進学率等の水準が過剰であるという立場をとらない。

(学士課程教育の構築に向けて(答申)、平成20年12月24日、中央教育審議会 p.4より抜粋*1

ユニバーサル化というのも一つの理論でしかないわけで、ましてやそれによる大学の性質の変化が文化等々に及ぼす影響というのは語られていないのではないでしょうか(少なくとも、私はそこまで含めてユニバーサルを語っている文献を見たことがありません)。

さらにウチダ先生は、大学数自体は維持する方が適切で、そのためには定員を減らしてクオリティを上げるべき。学生納付金は減るけれど、インフラや教育サービス、研究の質は落とせない。であれば人件費を減らすしかない。

それは仕方がない。教職員に給料を払うために大学はあるんじゃないからだ

ともおっしゃいます。こちらも、まことにごもっともでございます(研究という側面から考えると若干の留保は必要かもしれませんが)。

…なんか、読んでいたらもうすぐ「大学救済業」というのが成立しそうだなぁとか思いました。
コンサル的に外から関わるのではなくて、がっつり中で責任持ってどうにかする、というのなら、大変そうだけどやってみてもおもしろいかも。もちろん、それなりの体系的知識を身につけるのは前提で、さらに本籍地からお役ご免を言い渡された後で、の話ですけれどね。


それから、この本はBlogの採録(の単行本の文庫版)のようですが、2〜4ページくらいの短編がいっぱい並んでいます。
その書き方が、というわけではないのですが、何となく感じたのが、最近自分の思考がどんどん細切れ化しているのでは、ということ。
Webサーフィンとかしていると、リンクたどってどんどんタブが増えて、あっち行ったりこっち行ったりしています(それがHTMLの特性でもあるのですが)。
twitterも、ウインドウ出てくるとついつい見てしまうので、つまり約1分置きに思考がそっち行くわけですよね。仕事してるときの上司や電話の邪魔さ加減ではないな…
実際、これを書きつつもFacebook見に行ったり、blogをどこに載せようかと考えてはてなの古いアカウント引きずり出したりしているわけで。

思いついたポイントを忘れないようにするために箇条書きで覚え書きを書いておいたりもするわけですが、なんかそれもパワポ型思考っぽくてなんだかすっきりしない感じがしなくもないのです。。
ひどい散文とはいえ、これだけの文章を書いたのも久しぶりですしね。

そんなわけで、久々の(!?)読書メモでした。読了したらまた書くかもしれません。